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From: 夢見鳥 <siraisi@cavin.co.jp>
Subject: Re: 誰がための技術?
Date: 1999/02/05 12:29:52
Reference: junge/00233

こんにちわになっちゃいました。

2月5日に、Akitaka HOSOMIさんは書きました。

>こんばんわ。20 世紀末 引退寸前 腰痛持ちプログラマの HOSOMI と言います。よろしく〜。
>

おぉ〜い、引退には少し早いのと違いまっか。
20世紀と21世紀の境界を乗り越えるあたりの世代でしょうに。
おら不発段があって燃料切れの隠居年齢でやってるぜ。

>
>2月5日に、Yuuki Okayamaさんは書きました。
>
>>はじめまして。(はじめてじゃない方もいらっしゃる?)
>>小生、某機械メーカーに勤務しておりますが、最近こんなことを考えます。
>>私的考察ですが、全ての技術屋は人を幸せにする使命があると思います。
>> 人を不幸にする技術はこの世界には必要無く、全ての技術は人を幸せにし、この世界に生まれ行く子供達の為に全力を持って働き、
>>そして何かを伝えるべきだと考えます。

たしかにそのとおりですね。
本来は人の幸せを願うのは技術も含め仕事と呼ばれる活動はそうであるはずなんだよね。

だれもが知ってる、文学的且つ芸術的な法がある。

私権は公共の福祉に遵う、
権利の行使及び義務の履行は信義に従い誠実に之を為すことを要す、
権利の濫用は之を許さず。

之は日本国の形の根幹をなす理念である。
しかるにこの理念が現在の社会のそれとなっているだろうか。

なぜかこの理念は軽視される、それは犯しても捕まらないからである。

しかしこの理念を捨てたものは大方の者は法を犯す。

現代社会の指導者にこの理念無き者が異常に多くなり、
指導者の持つ法知識は、法を犯して罪を負わないことに費やされる。
こうして新たな日本型マフィアを形成する危険を孕むのである。

権力及び法知識による道徳的危険、所謂モラルハザードである。

そこで人民の多くもこの理念を放棄しチョコレートが欲しい下僕となる。

こんな悪循環の社会に何時の間にかなってしまっている。

偉い人とは本来、人民のよき指導者であるために学問を学ぶ。
また、人民を守る為に権力が付与されるのである。

これを言うと彼らは一様にこう答える、今頃流では通用しないと、
其れならばこの法を変えてからやれ、それなら私も抵抗はしない。

>> 少なくとも、先駆者は後から来る者への道標を示し、後へ続く物は先駆者を追い越す意気込みが必要なのではないか?
>>近年、そう云った考え方の技術者が減って、討論の場も減り、つまらなく感じる今日この頃です。
>>皆様方の御意見を御聞かせ願えないでしょうか?
>

仕事は他の人の幸せ(公共の福祉)への提供である、人の幸せ分の幾らかが対価として自己の幸せを実現する。
このごく当たり前に戻れるのかが21世紀の課題のように私は考える。

>
>こういうことを、大上段に、ガツ〜〜ンと言ってもらえると、胸がすく思いがしますね。
>
>わたしの場合は、技術は人の手で作り出した一種の道具だと考えていますから、完全と
>までは言えないにしても、その用い方により、充分、人のための福祉に貢献するものと
>して使える筈であると考えています。
>
>人の使う道具である筈の技術が、技術のための技術であったり、技術の都合に人が仕え
>たりしていたのでは、本末転倒そのものであり、それは、たいへん不幸な状態でしょう
>ね。
>
>ただ、現実問題として実際に取り組んでみると、残念なことに力及ばず、目標とすると
>ころまで到達できないことも、ままあって、次の世代への宿題として託すことになって
>しまうのかも知れません。
>
>しかしながら、埃をかぶった先達の道標を見つけて、きれいに洗ってくれたうえ、さら
>には、その先へ進んでみようと考える者が、必ずいるに違いない、と、期待もし、確信
>もしています。
>
>
>そのような、時間を超えた世代間のメッセージの伝達を、このサーバが担ってくれると、
>わたしは、たいへんうれしい。

わたしゃやりまっせ、たちの悪い連中は沈黙を守っているがそうはいかん。

しかし、すべての人間が狂っているわけではない。
必ず居られるはずである良識ある指導者の登場を、今!熱望して止まない。

>
>なんか、ずっと以前に、別件で、他の会議室で暴れた際に、こんなことを書き込んだ
>のを、思い出したなぁ、わたし。

この名文はこのサーバの誇りじゃね。

P.S. と、最近、臨戦特攻体制で漢字が多く、当たりが強くってごめんね。