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From: Akitaka HOSOMI <hosomi@ga2.so-net.ne.jp>
Subject: Re: 知事選とメディア
Date: 1998/12/29 21:26:33
Reference: ehimesen/00039



12月28日に、夢見鳥さんは書きました。





>12月28日に、Akitaka HOSOMIさんは書きました。

>

>>愛媛新聞の投稿覧で、今回の公開討論会が録画放送されたことに関連して、

>>

>>    手話通訳の映像を含めて放送しないのは、不適切

>>

>>との意見が、二例( 手話通訳士と地方公務員から )ほどあったように思う。

>>

>

>当然でるでしょうね。

>難しい問題だけど、今までの経緯からしてしょうがないよね。

>新聞かな、あったけど、ノーマル、アブノーマルの世界じゃね。

>ノーマルちゅうのが何か?。この辺の問題のような気がするんだけども。

>しかし、すこし世界から見ると日本はアブノーマルとあったけどそうだと思う。

>でも、流れとしては底流では進んでいる?、個々に進んでいるんじゃないかな?。

>価値観が変わるにゃすこし時間が要るのかも?。





この問題は、持ち出す場所を取り違えてるように思うので、新聞に載った投稿

記事は、かなりズレてる、と考えるワケです。



もともとの投稿者の主張自体には、今回の討論会を引き合いに出さなければな

らない必然性は、ほとんど無いはずで、局所的に捉えることは適当ではない、

と考えています。







>>この指摘は、本筋をハズしてるように思えるので、以下、自分の考え方として、

>>書き込んでおく。

>>

>>

>>

>>

>>もともと、知事選挙絡みで掲載された投稿であり、その内容について関心を向

>>けられることは、結構なことである。

>>

>>しかしながら、現在では、情報を伝えるメディアを自分で選択できる時代であ

>>り、そのための手段は、自分の力で、簡単に手に入れられる時代でもある。

>>

>>音声が使えなければ、文字に直した情報が、新聞にもあり、Web にもあり、手

>>話通訳を行なっている討論会場に、都合をつけて直接出向くことさえも、決し

>>て不可能ではないだろう。

>>

>>にも関わらず、何ゆえ TV に映像情報のみを強要するのか、よくワカランのだ

>>けどね。

>>

>

>マスメディア(媒体)としての普及率の問題かな?。





聴覚障害を持ってる人って、普段は、TV をどのように活用してるのでしょうね?



新聞の投稿欄では、TV が壊れている状態に例えられて、聴覚障害者にとっての

不都合を主張していたようですが、現時点では、もともと壊れてる状態と変わら

ない( 実際には、もともと、そういうモノなのだ )、と考えられるので、わたし

の場合なら、もっと効率よく情報を伝えることができる他のメディアに期待する

けどなぁ。







>>

>>

>>    1. TV は、本来、映像と音声を同時に使って、情報を伝える複合媒体で

>>       ある。

>>

>>    2. 手話は、手の動き( 指の向きとか、使う指の本数とか )、

>>               顔の表情( 口の動きなどでの補間も含めて )

>>       を使う、映像に頼る伝達手段だ。

>>

>>

>>

>> NHK の手話ニュースなど見てると、手話による通訳を合わせて放送しようと

>>すると、画面の半分以上( 時には全部 )は、手話通訳士の映像であり、さらに

>>テロップ( 文字情報 )で補強されていたりもする。

>>

>>これは、映像と音声を同時に使う 1. のやり方と同じで、情報を相互に補間す

>>る伝達方法だ。

>>

>>つまりは、それぐらいやらないと、実際の TV 画像では、手話の細かい動きは、

>>伝えられないということではないのかな。

>>

>>

>>実際に効果があるように、手話通訳まで含めて放送しようとすると、どのよう

>>な画面構成になるのだろう? それは、TV というメディア本来のあり方( 映像

>>と音声による情報を最大限に使った同時進行 )を期待する者にとっては、どう

>>なんだろうか。

>>

>>

>>

>> TV で手話通訳を、という話しなら、何も公開討論会に限った話しでは無いは

>>ずで、ニュースやドラマ、バラエティ、国会中継や教養番組などにも、広く適

>>用されるべき話しではないのか?

>>

>

>

>こりゃ個人それぞれ自立する努力をちゅうことかな..?

>たぶん、人の尊厳だろうね、そうじゃなくっちゃね。

>





並び立つためには、自助努力も必要というこって、そのためのチャンスとか、

選択肢も、全く与えられていない、というワケではないのです。ギヴ・ミー・

チョコレートの時代とは、ちょっと違う筈。



自主判断、自己責任ってのは、互いに他を認め合って自立するための基本理念

じゃなかろうか。



相手の不備を指摘することと、打ち出の小槌をふることとは、違います。



# そういうところって、今回の選挙戦と、よく似てませんかね?







>>手話通訳の同時放送については、公開討論会に限定しないで、現実として、適

>>用されていない( 適用できない )理由ってのを考えてみた方が良い。

>>

>>

>>

>>聴覚障害者に限らず、健常者でも歳をとってくると、耳が遠くなる、相手が早

>>口で喋ると理解できない、など、いろいろと問題を抱えることがある。

>>

>>手話による同時放送よりも、バラエティ番組で見かけるテロップ( 文字情報 )

>>を使った表現の方が、そのような高齢者とも共有できて、まだ良いのではない

>>のかな。

>>

>>わたしは、そう思うけどさ。

>

>

>近い時代にそうなればいいね、多分そうなると思うけど。

>

>>

>># どこかの局は、地域に密着した有料公共放送を自負していながら、中継すら

>># してくれなかったと思うけど、気のせいだったのかな?

>

>しかし民放がやるとは少しびっくり。





これは、その通り↑ですよねぇ。あの柔軟性と腰の軽さに、わたしはビックリ。

あ ! という間に、境界を飛び越えてしまった。



今回の選挙なんか見てると、愛媛は、水の部分と氷の部分が、混ぜこぜの状態

で、まさに、臨界の状態。







>昔々その昔

>わたしゃ言ってしまった、「N??にゃ報道部(局)?はいらんのじゃないかな、自然物だけやっとけば」てね。

>どうもあそこは最近難しいらしい、「国?放送」?。(すこし期待したんだけれども)

>問題は当事者が「国?放送」じゃないとしらっと言うところでしょうね。

>予算、決算の国会承認が要るからね。





当事者から、しらっと言われてもなぁ ....... やれやれ、困ったね、こりゃ。



ギシギシと軋む音を発てながら、氷山は流れていくのだなぁ、と思う年の暮れ。



# タイタニックだぁ〜〜