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From: 久丸 八次 <kumaru@cavin.co.jp>
Subject: 年の瀬の思ひ
Date: 2004/01/01 00:53:37

先程、人生の長い小説の節目に、生来初めての年越しの為の風呂に参りました。
今日は、道後の温泉の湯船の渕の石畳で、流石に人が混み大の字にはなれずとも、少の字になっ
て天井やら、石壁の隠れ気味の読めぬ彫文字など眺めながら、ゆっくりとゆ(温泉)に浸かって
過ごしました。

さて、最近知り合った亡母の歳に近い素敵な知人の紹介で、ここ2回ほど一遍会に参加させて頂
きました。
種田山頭火も痛飲して大の字で路に寝転んだという、道後の歓楽街の頂点に位置する宝厳寺の時
宗の開祖である一遍上人の勉強会です。
一遍会では、初回に一遍上人が岩手県での活躍する場面、2回目は秩父辺りから鎌倉への路での
ご活躍の場面の紹介をいいただきました。

一遍会に参加される多くの文化人以外の方からは一遍上人のお話は聞かないばかりか、時宗のお
話を聞くこともありません。

ああぁ、やっぱり石川啄木や宮澤賢治の世界が必要な時代ではないのか等と感じ入ったり複雑な
心境にもなったりします。

正岡子規が夏目漱石先生と散策の際に「古往今来当地出身の第一の豪傑なり」と話したとか、の
歴史を振り帰ると、嬉しいような、悲しいような複雑な気持ちになります。

夏目漱石先生が松山の教師でいらっしゃる時に、祖父が松山中学に在席し「坊っちゃん事件」の
頃に中退になり、東京の学校に進んだようですから、イナゴ事件で中退になったのではないか、
などという意味不明の根拠の無い話も耳にします。

残念ながら、この辺りでは東京から来られた役人に弱い気質を持つのか、中央の盗人ネコのご機
嫌取りのドブ鼠の多さに呆れかえる日々を十数年過ごして参りました。

うぅん、やっぱり、大分以前からこの辺りでは知的な産業は発達は難しいなっ、と思いつつ仕事
を進めてまいりましたが、五十路にもなりそろそろ次の時代の若い人にお任せで行こうかなぁ、
と考えてます。

この25年の四半世紀の入口で公私ともにお世話になりました尊敬する道後の旧家の今は亡きご主
人を思い出し、人のあり様を今想います。
また、小生は亡くなった祖父、祖母を思い出しても、その先人を裏切らずに生きた半生に喜びを
感じております。

新年は小生の人生50年は節目と決め、向かうところは「柿一つ 五十路の 我の道を行け」と心
を定めました。

情けなくも底に着いた時代がこれから崩壊に向かうのか、それとも再生に向かうのかは、皆様が
決めることかなぁ、と勝手な想いもいたします。

不正なる犯罪に「非暴力・不服従」が通用する社会なのか、そうでは無い時代なのか、結論を子
供に伝えたいと考えています。

迎える新年にはこの結論を出して、情けなくも物書きの人生を送ることしか無いかなぁ、と考え
ています。

世紀の記録に残るでだろう、来る新年の平和と、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。